フィッツジェラルドに憧れて

思うこと書いていくだけのチラシの裏

任天堂スイッチを買い求めるの巻

スプラトゥーン2がやりたくてやりたくて

ここ最近は、東にオンライン販売店をしている店舗があれば応募をし

西に抽選販売会があれば、後日電話をして余っているかを聞くことをしてた

 

職場の上司から同僚伝てで13日の朝からゲオで販売抽選会をしているらしい情報が入った

これは行かない手はない

 

初の抽選販売会である

 

前日から朝の7時にベル音式の時計をセットして床についたのだが、お昼寝を8時間したのが問題なのか、期待に胸を膨らませているのが原因か

遠足前夜の小学生的な不眠が発症した

 

結局、朝7時まで眠れずにスマホをいじっていた

 

その後、身支度を済まし、いざゲオへ

向かう途中で、隣のパチンコ屋でも大行列が出来てたのでここでも任天堂スイッチの販売をしてるのかなと思った

 

目的地に到着すると、30代後半の男性二人組がすでに店頭の販売コーナーのポスター前に陣を設けていた

 

初めて抽選会に来たもので、作法もてんでわからない

粗相をするといけないので

とりあえずは、抽選券がいつ配られるのかを聞くために店員に尋ねてみることにした

 

どうやら、あと1時間ほど経ったらいつもの如くレジの隣で列ができ、列ができ始めたらいつもの如く抽選券がくばられるらしい

 

店員はしきりにいつもという言葉を口にしていたのだが、わざわざ聞きに行った時点で新参者だということを察して欲しかったなどとワガママを思いながらも、店内で立ち読みをして過ごすことにした

新参者には厳しいのが世の常だ

 

とりあえず店内を見渡すとまだ読み進めていなかった「アイアムアヒーロー」があったので、11〜13巻の3冊をひたすら読んだ

 

そしてようやく店内が賑やかになってきて、子供や家族連れやカップル、おひとり様がどこからともなく湧いて出て来た

 

これは並ぶタイミングかもしれないと思ったので漫画を元の場所に差し戻し、レジの近くのCDコーナーで様子を見つつ、さして興味のないJ-POPのCDを眺めていた

パッケージを眺めていたアーティストの名前は忘れた

 

すると最後尾と書いたプラカードを持った店員が現れ、列を作ってくださいと呼びかけをしている

 

最前列を探し、列に並んでいたのだが段取りが悪かったのかおひとり様の男性に割り込みをされた

 

先着であるまいしと思いながらも、割り込みをされるのはやはり少しむかっとするものがあったが気を取り直して配布まで待つことにした

アナウンスがあり、30分後に店内入口付近で抽選番号の張り出しがあるとのことだった

 

そして時間になり抽選券が配られた

僕は7番でラッキー7

ここで運を使い果たしたのではないかとすこし不安になる

発表まで時間を潰すためにスターバックスでコーヒーを買った

 

そして30分後

店内に戻ろうとするとすでに入口付近で人だかりが出来ている

落胆してそそくさと帰る人と2つ当たったと喜ぶ小学生がいた

 

すぐにみるのは落胆が大きいと思ったので人がはけるのを少し待って貼り出されている紙を覗き見た

 

当たっていた

ラッキー7はラッキーだった

 

内心は大喜びで誰かと喜びを分かち合いたかったのだが、おひとり様の僕は誰かと喜ぶはしゃぐわけでもなく、Twitterに無表情に当たったことを投稿した

「咳しても一人、喜んでも一人」

 

次はレジに並ぶと商品が購入できるらしかったので、並んで順番を来るのを待った

 

僕の後方には、おばあちゃんと孫らしき人と5人家族の人が並んだ

後ろの二組とも東京からきたらしく

意気投合して話が弾んでいた

 

聞き耳を立てながら、ふと「朋有り遠方より来る」という漢詩が意味もなく頭をよぎった

 

何はともあれ、無事購入することができて満足な1日だったがやたら並ぶことが多い1日だったと思った

 

 

Nintendo Switch スプラトゥーン2セット

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日傘とゲリラ豪雨

いい年越えて僕は運転免許も持ってない

なのでバスを利用して45分の距離を通過して僕は会社にいつも向かう

 

1日に出ているバスの本数も少ないので、毎朝遅刻しないかどうか不安になりながら通勤している

 

仕事柄、残業をすることが多いのだけどここ一週間はわりと暇で定時に上がることが多くなっていた

 

昨日もちょうど定時に帰れる日だった

 

帰りのバスまで時間があるから、会社の喫煙所で20分ぐらいタバコをふかしながら時間をつぶしていた

バスが到着する時間が近くなったので、タバコの火を早々と消し、職場の上司と同僚に別れを告げてその場を去った

 

バス停まで向かうとバス停には先客が一人いた

遠目で見ると腰まで長い髪女の子だった

 

昔働いてた職場にいた女性に似ている子だった

多分、年齢は19〜22歳ぐらいだと思う

似てるなと思いながらも、横目にちらりと見たきりで、あとは無関心のふりをするためにiPhoneを取り出してYouTubeなんかを見ていた

 

そんな自意識過剰な不毛な防衛行為をしていた2分後ぐらいに突然の大雨が降ってきた

 

僕がこの世の中で2番目に嫌いなものは雨である

 

最悪だなと思いながら、周りに雨を凌げそうな建物がないものかとキョロキョロと周りを見渡して見たが、何も見当たらなかった

 

どうせ家に帰るだけなのだからこの際濡れてしまおうと腹をくくったのだけど

隣から突然声をかけられた

 

「良かったら日傘ですけど、一緒にどうですか?」

 

と先程まで僕が勝手に無関心を決め込んだ女の子が話しかけてきた

 

社交性の無さに定評のある僕は狼狽えながらも大丈夫ですと一言いうことが関の山だった

 

「いや濡れてるの見てるのは忍びないのでどうぞ!」

と寄ってきて日傘の中に入れてくれた

 

聖人君子か天使の生まれ変わりかなと思った

あとこれがカントの曰く、善という行いなのかとも思った

 

これはきっと親御さんの育て方がとても良かったのだろう

親の顔が逆の意味で見たくなった

 

傘を貸してくれた女の子に傘を持たせるのは、さすがに男がすたると思ったので、紳士のふりをして傘を持ってあげた

 

他人と他人の不思議な相合傘の完成である

 

他人と相合傘なんか経験したことがなかったのですごく変な感じになった

 

僕は沈黙は危険だなと思い、とっさに

「今日の天気予報は、雨でしたっけ?」

などともはや雨傘を持ってない彼女に聞いても意味のない質問でお茶を濁すことしかできなかった

 

そんなどうでもいいことを二言三言交わしてる間に雨が通り過ぎてしまった

 

雨が止んだので僕は彼女にありがとうございますと一言礼をいい、日傘の中から出て会釈を軽くした

 

僕が乗るバスが来たのでまた会釈をして、僕はバスに乗った

 

バスに揺られながら、月が綺麗に見えてなんか今日は良い日だなと思った

 

僕がもう少し若ければ、危うく恋に落ちかねないシチュエーションの出来事だったなとも思った日でもあった

 

 

我思うゆえに我あり

土曜日と日曜日にかけてNETFLIXで二本の映画を見た

イノセンス」と「INCEPTION」

 

イノセンス」は「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」という押井守監督のアニメの続編で脳を電子ネットワークに繋げられた《電脳化》された人々ががいる世界で近未来SFの話だ

 

「INCEPTION」はクリストファーノーラン監督の夢を共有することができる技術がある世界の話で夢の中に潜り込み潜在意識から情報を盗むような犯罪が行われている

 

双方は全く異なる世界の話だがSFを舞台にすると呪いのように付きまとうのが『存在』というテーマだ

 

イノセンス」は自らを機械と融合することによって、人間性と呼ばれるものがとてつもなく希薄になっていて、人々が現実の世界に比べ『存在』ということにとてつもなく懐疑的なのだ

心と呼ばれるものが希釈されて、彼らの世界ではゴーストと呼ばれている

心の存在自体が不確かなのだ

 

一方、「INCEPTION」は《電脳化》と呼ばれるような突飛なことこそは起こらないが、夢を共有すること、夢を何層にも重ねることによって現実が希薄になっている

主人公である《コブ》も夢の中に理想の世界を築き上げてあたかも自分の生きてる世界がここにはないかのように夢に逃避するのだ

 

今現在、テレビで有名芸能人の夫婦の離婚騒動が取り上げられている

彼女が存在していると思われることは彼女の中には現実としてあるのだろう

 

『存在』とは僕らが認めた時点で『存在』なのかもしれない

 

 

イノセンス スタンダード版 [DVD]

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インセプション (吹替版)
 

 

持たざる者の持たないこと

なんのブームかはわからないけど「ミニマリスト」って呼ばれている合理主義の成れの果てみたいな主義が日本ではもてはやされていて

コンビニや書店に行くとミニマムであることが良いことのように布教されている

日本における「ミニマリスト」の本やブログには、「無駄だから捨てた or 持たない」というふうに無駄だということが悪いことだという前提で話されている

 

ネットで、「無駄」について調べて見たけど役に立たないこととしか書かれてなかった

 

あくまでこれは僕の推測なんだけど、もともとはお金持ちの遊びの一つとして「ミニマリスト」っていうものがあって、金銭的に余裕がある中で増え続けたモノに対しての執着心を捨てるみたいなことが行われてたんじゃないかなとか思っていて

 

『持っている人たちの持たない暮らし』っていうのが賛美されているんだと思うんだよね

 

でも一方で量産型の「ミニマリスト」たちは持たざる者の持たないという選択にしかならなくて、『持たざる者の貧乏生活』の披露に他ならない

 

みんなそれを認識した上で承認されているのであれば、「ミニマリスト」を否定することは野暮なのかと思うけど

 

僕は無駄なことをすることこそが、プライベートの時間だと思うし、どうせ死んで灰になるのならば、形あるものが残っていた方が僕は嬉しいと思った

 

 

落ちることの魔性的な魅力について

今日も今日とて、本を読み会社に行き、家路につくような生活を送っていて

平日は明日の仕事の心配なんかをしながらシャワーを浴びて床につく

 

日曜日は儀式的に暗い映画、本、漫画、音楽なんかを読み見聞きするのが毎週の僕の行動パターン

月曜日を最高のテンションで迎えるために日曜日はトコトンまでテンションを下げる行為に勤しんでいる

 

デカダンな魔性的な魅力に取り憑かれているのである

 

そんな僕のベストオブ日曜日の本には村上龍の「限りなく透明に近いブルー」がランクインする

 

この本に出てくる主人公の〈リュウ〉もそんなデカダンに取り憑かれた一人で、ドラッグ、暴力、性、などおおよそ良くないと呼ばれることを主体性もなくただ無感情に行なっている

 

リュウ〉に共感を覚えるというわけでもないのだけど、身を滅ぼすような感覚に一種の幸福感が感じることは少なからず理解できる

 

生き続ける人生の中で明日のことも未来のことも考える必要がなく、ただひたすらに身を滅ぼす

 お酒とドラッグで溢れ出しそうな心配の種を間引いて、思考を止める

そうやって死に対する願望めいたことが、逆説的に生きることへの心配から解き放たれ幸福感を得る

 

哲学者のパスカルは、動物に比べ低い身体機能と知恵を比喩して「人は考える葦だ」と言ったけど、考えることが動物的生存本能を殺している

 

退廃的なことへの魅力とは、動物的な脱人間性にあるんだと僕は思う

 

 

 

 

▼参考: 僕が日曜日に手に取るシリーズ

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

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Kid A?[国内盤 / 解説・歌詞対訳付] (XLCDJP782)

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子供の時に思ってたこと

少し何かに傾倒しているヤバいやつみたいな文章になるかもしれないけど、恐れず書いていこうと思う

 

中島義道氏の「悪について」という本を買った 

悪について (岩波新書)

悪について (岩波新書)

 

 

元々は好きで読んでる以下のブログに紹介されていたのがキッカケだったと思う

mariminor.hatenablog.com

 

「悪について」という本はカントの思想に基づいて語られていて

子供の時に思ってたことが、この本を読んでがっちり噛み合った気がした。あくまで気がしただけで完全に理解しているということには程遠いのかもしれない。

 

「悪について」の冒頭で語られるのだけれど

 いまや我が国では、幼児虐待や少年による傷害・殺人など、残虐な犯罪事件が毎日のように起こっている。ジャーナリズムは騒ぎ立て、次々に教育評論家や精神病理学者や犯罪心理学者、はたまたは歌手やタレントやスポーツ選手までが、テレビや新聞に登場して、我がもの顔に「対策」を論ずる。このすべての現象がきわめて不愉快である。 

中島氏が冒頭でも語っていることを僕も子供の時から、不可解だなと思ってニュースを見ていたのを思い出した

本当にこの人達は悪い人ではないのかと、人を批判するに足る人間性を持ち合わせているのかと

不愉快だとは思わなかったのだけれど、そこに攻撃してもいいという大義名分を掲げて、抵抗できないものを殴り倒しているイメージに近いものを感じていたのだと思う

 

その次にも、中島氏はこう書いている

 私ははなはだしい違和感を覚えるのは、こういった残酷な事件について語るレポーターやニュースキャスターやコメンテーターたちの鈍感きわまるふるまいである。一様に、異常事態に驚き呆れたという顔をし、沈痛な面持ちで現代日本人の「心の荒廃」を嘆き、「どうにかせねば」と提言をする。あたかも自分はこういう悪とはまったく無縁の安全地帯にいるかのようである。 

話は少しそれるけど、僕は中学生の時から、利己的っていう言葉を好んで使っていてすべてにおいて利己的ではないことなど存在しないということを今でも思っていて

たとえば、誰かの為を思い優しくしたとしてそれはすべて他人に対する優越感や愛情の報復を望んでいるわけで利己的ではない人間などこの世には存在しないと思っている

 

中島氏が語るカントにも「自己愛」という言葉で語られていて、他人に向ける優しさや一見良いと思われる嘘についても、自分自身に利益があると感じてやっていることに対しては全ては悪なのだと

たとえ身重の母が、自分の命を投げ出して子供の命を優先的に助けてほしいと望み実行したとしてもそれは悪なのだと

 

さすがに悪と善についての境界線には賛同しかねるところはあるのだけれど

共通して言えることは、悪であることが自分の中に存在しないと思う事自体が思い上がりなのだということである

すべてにおいて誰かの為を思い、何かをしたとしてもそれは善ではなくあくまで利己的なことであり、僕らはきっといろんなことに対してgiveとtakeを繰り返していて無意識下にいろいろなことを与え、受け取っているのだと思う

 

だからこそ、自分が行っていることに思い上がることなく見つめていくことが大事なのかと思った

 

誰かを批判するときに僕は悪ではないのかと

 

理解されたいこととされたくないこと

昨日は髪の毛を切りに行った

家の近所の歩いて1分ぐらいの床屋さん

 

いつも同じ理容師が髪を切ってくれるんだけど

半年に一回しか行かないから担当の名前の人もわからなくて

約3年くらい名前の知らない人に髪を切られ続けている

 

悪い人ではないのだけど、髪を切ってくれる時に身の上を聞いて来るから少し苦手で

僕のことを聞いて来るのはやめてくれないかなと毎回思う

 

懲りずにまた半年経ったらこの床屋さんに僕は行くんだと思う

 

パーソナルスペースみたいな領域が会話の中にももちろんあって心を許している人以外には話したくない事が僕にはたくさんある

 

喋らなくても理解しててほしいこととか理解されたくないこととかたくさんある

 

つい最近、会社の人とと喋っていて少し動揺したというか本質を見抜かれてビックリしたのとホッとした事があった

 

理解されていないであろうと思った事が理解されてて、なんか急に泣きそうになってしまった

 

見てくれてる人は見てるんだなと

僕の気苦労を知ってる人がいるんだなととても嬉しかった

 

そんな理解されてないと思っていたところにも、見てる人にはバレてるんだなと

 

少しのわかってるくれる人がいれば多くはいらないなと思った